RAIN RAIN COSTA RICA

text by charlie

5月19日 夕刻今回奄美から参加するcharlie、ayumi、M氏、M夫人、M嬢(変な方に理解しないように!!)が奄美空港に集合した。予定では20日出発だったのだが、今年も台風2号の接近により微妙な判断となり一日早く出発することになったのである。ただ、空港で見せてもらった天気図を見てcharlieだけは20日出発を選択し、残りの4人を見送りだした。

5月20日 台風は南よりのコースをとりはずれていったために島は穏やか。一日思い切り仕事をして機上の人となった。

5月21日 夕方 沖縄から参加のJINJINを含め全員が成田第1ターミナルで顔を合わせ初対面同士の挨拶などを交わした。チェックインも無事に終わり最後の日本食をそれぞれが堪能した。そんなに美味しい訳じゃないけどね。シンガポール航空でロスに向かう。ロードオブザリングを3部作とも見ていたら、あっという間に着いてしまった。

ロスの空港には初対面となるS氏が出迎えに出てくれていた。今回の旅に合流することになっている。借りておいてくれたレンタカーに荷物満載し、S氏の自宅に向かう。板を預け、サンタモニカでお買い物。

北米初上陸JINJIN サンタモニカにて

ところが、ここでちょっとしたハプニング。いきなり後ろから追突されたのだ。後部座席に座っていたメンバーはヘッドレストが十分でなかったためかなりダメージを受けていた。ヘッドレストがあったcharlieもちょっと頭がクラクラした。しかも、ぶつけたやつは逃げやがった。頭に来るぞロサンゼルス。

夕方、ダウンタウン近くのglobeというショッピングモールでさらにお買い物。charlie&JINJINはあまりの空腹に12インチのアンチョビピザをたいらげてしまった。その後、コリアンタウンで人気の韓国料理を頂き腹一杯となったのであった。

5月22日 1時30分発のTAKA航空に乗り込む。ボードケースは1個なのにsport item2個と言う名目で$50とられて不機嫌なcharlieであった。約5時間のフライトでSAN JOSEに着いたときは朝9時頃であった。

早速、空港近くのAVIS営業所に行きMONTERO(日本のパジェロ)をゲットした。左ハンドルマニュアルである。屋根に板を縛り付け7人ぎゅう詰めで、いざ出発。いきなりの雨から始めるコスタリカドライブである。長旅の疲れもあるし初めての土地なので、まずはコスタリカ最大のサーフシティJACOへ向かう。JACO在住の日本人ガイドRUDYさんから情報をもらいなさいという事だったので、途中の公衆電話から電話をかけてみる。コインを電話機の上に並べて、使った分だけ転がって吸い込まれる変わった公衆電話だった。RUDYさんによればカリブ海にハリケーンが発生していて大雨で風も合ってないそうである。こんな事は初めてだとの事。台風2号にやられここに来てハリケーンかよ。誰か熱帯性低気圧を呼び寄せるやつが今回の参加者にいるに違いない!!(^_^;)

気を取り直して緑に覆われた山道をくねくねと運転すること2時間、ようやくJACOに到着した。早速、波をチェックするもオンショアぶよぶよセット頭で雨。気分はどよ〜〜んとしてくる。とりあえず、両替しようと銀行行くと休み、電話をかけようとすると今度はカード式で理解するのにえらい時間かかる。初めての国は一つ一つに凄く時間を要するんだなぁ。

とりあえず、腹ごしらえに中心部のレストランに入る。相変わらずの土砂降りだ。料理は、CASADOとよばれるプレートランチがたいていの場合いけてる。料理をつつきつつ、近場の宿をチェックして、すかさずHotel Poseidonにチェックイン。長旅と雨でドロドロになった体をリフレッシュした。

夕刻、徒歩にて波をチェックしに行ったが、オンショアでとても入る気にはなれなかった。ビーチはブラックサンドで、すごく昔のクタといった風情であった。のんびりしていて喧噪は感じられなかった。

夕食時間、雨は相変わらず降り続けているので遠出も出来ず、近場のレストランに駆け込んだ。テーブルに案内されても降り込んでくる雨でびしょ濡れになってしまうし、食事中に停電になるし、なかなか落ち着かない感じだった。ビラで見つけたNacho Daddy'sという店でSan JoseからDJ RanksがやってきてHipHop&Reggae Nightをやるというので、早速参加したが、あまりにも早い時間なので閑散としていた。その後、別のディスコティカに行ってみたら、やたらとサルサが踊られていた。勢いカチャーシーをかましておいた。最後にNacho Daddy'sに戻ると今度は大盛り上がりだった。やっぱ遅くなると盛り上がるんだね。ナイトライフも結構あるらしいですよ。

RUDYさんにも会えて、少し情報をもらうことも出来た。

5月23日 朝から土砂降り。海に入る気も失せる。インターネット天気予報ではあと二日間はThunder stormとのこと。JACOは諦めてニコヤ半島を目指すこととなった。雨の中の長旅だ。

プンタレナス近くのレストランで朝飯

土砂降りの中を北上し、リベリアで左折するとニコヤ半島の幹線道路となる。パンアメリカンハイウェイは穴だらけだったが、こちらは割とマシである。一気にタマリンドまで走りきった。

単位はkmだ

コスタリカ第二のサーフシティTamarindoはこじんまりとした街だった。JACOに比べると店も少なくてさらにのんびりしている。車に板乗せて2周するだけで、新参者とばれて怪しいやつが声をかけてくる。そんな狭さだ。だが、こじんまりしているだけに把握しやすく落ち着ける感じであった。

雨も降るので、いちいち部屋をチェックして回る気になれず、BEST WESTERNというアメリカ資本の宿に飛び込む。ところがラッキーなことに、Surf Campという3ベッドルームのコテージがたまたま空いていて、$150/dayで借りれることになった。

長い間波乗りしてないということで、早速梱包を解き海に向かった。charlieの6'6"はノーズをクラッシュしていたが、たまたまS氏がノーズガードを余分に持っていたので、買い取ってつけることが出来た。波はJACO周辺に比べるとワンサイズ落ちるが風は合っていて、小さいながらも初コスタリカ波乗りをすることが出来た。ホテルからビーチまでは裸足で歩いて5分くらいである。

雨のせいで足下びしょ濡れのまま部屋にはいるので床は常に濡れていて不快この上ない。使ったタオルを次々に足拭きにおろしていく。

本日より節約のため、夕食は自炊である。小さなスーパーで食材を買い込み、こだわり料理人M氏が調理担当である。なかなか美味しい夕食を堪能した。黒糖焼酎も持参していたので中米で呑む奄美の酒もなかなかであった。

5月24日 曇り時々雨、一応雷嵐ではない。朝一近場のビーチブレイクで波乗りするも更にサイズが落ちてきている。あまりにも小さいので歩いて30分ほどの距離にあるPLAYA GRANDEに向かう。歩いてもいけるがしんどいので車で向かう。実は内陸にかなり戻ってから、また海に向かうため時間的にはやはり30分ほどかかってしまうのだ。道中では猿の軍団を発見し威嚇しあってしまった。波はタマリンドよりはワンサイズ大きい。少しましなサイズでちょこっと遊ぶことが出来た。


white-throated magpie jay
ニコヤ半島では普通に見られる

5月25日 快晴。やっと晴れた!! 昨日予約しておいたWitch's Rock Surf Campに朝5時15分に集合する。車に板積んでいざ出発。Playa del Cocoまで約一時間の旅だ。COCOで朝食を頂き、ボートに6人で乗り込んで出発。

車に詰め込まれて出発

本当は6人しか客を取らないらしいが、小柄な東洋人だしBBが3人もいるので荷物がかさばらないってことで7人乗船出来た。途中ナブラがいくつも見られ、鰹が飛び跳ねているのを眺めていると釣り竿持ってきてない事への悔しさもこみ上げてきてしまった。

ボートに揺られて40分。憧れのWitch's Rockに到着だ。波は小さいがEndless Summer Uで見たあの岩が確かに存在していた。しかし、すでにボートが5隻、サーファー30人。あまり歓迎すべきコンディションとは言えない。

思えば遠くへ来たもんだ


今回唯一のライディング写真
デジカメウォーターショット
JINJINテイクオ〜〜フ

こんなボートだよ

それなりにちゃぷちゃぷしたりして楽しんだ。潮が引くに従ってどんどん波は悪くなっていった。そこで干潮ポイントであるオリーズポイントへ向かう。ボートで20分ほど。さすがにこちらはうねりが合ってなくてなしなしだった。誰一人として入る気がせず、さっさとCOCOに戻った。

cocoに戻れば気持ちいいシャワーと冷えたビール

でっかい外人とともにまた車に揺られて1時間、タマリンドへ戻るのであった。それにしても、この日はいい天気でみんなここぞとばかりに気合いでゲットサンタン・・・・あと知りませんよ〜〜って感じでした。

5月26日 早朝、S氏は夕方のロス便に乗るために、早朝発のバスに乗ってSAN JOSEへ向かった。ホテル前の道路脇で待っていたのだが、バスの止め方は微妙に難しく、道路脇できちんと意思表示しないと止まってくれない。あやうく乗り過ごすところであった。

S氏のお見送り

波はいよいよなくなっている。もう入る気もしない。ということで、charlieの希望により一番近い国立公園PARQUE NACIONAL BARRA HONDAに行くことになった。天気はボチボチ晴れている。SANTA CRUZ、NICOYAを通りドライブすること1時間半で到着。現地の人に聞くと大抵、所要時間を短く言うので、概ね1.5倍くらいみておけばよい。

石灰石で出来た小山に鍾乳洞がたくさんあるらしいが、そういうのはガイドが必要で予約制らしく、一番簡単なトレッキングルートを歩くことにした。受付で一人$6ずつ支払い道を尋ねると、2時間でいけるがビーサンは無理だといっている。そんなこと言われても靴なんか持ってきてないので、いけるとこまで行きましょうって事で水も持たずに出発。1993年にドイツ人ハイカーが、水も持たずガイドも雇わず出かけて、迷子になって死んだとガイドブックに書いてあったので「無理は禁物」を念頭に出発。

ボランティアと見られる人たちが増水時の溝を掘っている。更に上ると道は結構枝分かれしている。これは迷うかもしれない。いくつかの分かれ道を通過しほぼ頂上付近までは行ったのだが、お目当ての絶景ポイントまでは遂に行けなかった。装備自体に不安があるのでどうしても攻めきれなかった。

行くなってことか・・・

スペイン語の辞書を忘れたのも敗因だった。あとから考えれば、多くの看板に書いてあったのは鍾乳洞の名前らしかった。それでもイグアナをはじめ、威嚇してくる猿達やでかい蛙や珍鳥など見ることが出来た。全行程2時間はかかったが久々に下半身の運動であった。

帰りにはSANTA CRUZの中華料理屋で割と旨い昼食にありついた。この地域はどこも停電だったのか、非常に蒸し暑かった。

実はcharlie的にNOSARAというところに非常に行きたかったのだが、雨期には結構道路状況がシビアになるということなので、泣く泣く諦めたのだが、SAMARAまでの道の感触は少し掴めたので次回に行ってみようと思っている。

M夫人のベッドに潜り込んでいたサソリ、油断大敵である

5月27日 曇り時々雨 ニュースウェルへの期待もむなしく、小波が割れているだけのタマリンドは諦めて、PLAYA GRANDEへ向かう。泣いても笑っても今日が最後の波乗り日だ。それでもセット頭近いビーチブレイクである。人はそこそこいるがそれなりに乗れて楽しかった。昼飯はPedro'sというところでCASADOを食べる。飯はだいたいどこでも美味しく食べることが出来る。最後におみやげなどの買い物もする。

pedro's

Last Night、最後の晩くらい外食しましょうってことで、お出かけ。ロータリーのあたりで変なキャッチのおじさんに捕まる。「ザ・魚や」という名前のレストランで、マルガリータとピニャコラーダともうひとつ現地のなんとかというカクテルがただで飲めるそうだ。なんか怪しいと思いつつビーチの奥まで歩くと、割とまともなお店であった。虫除けさえしっかりしてればムードも味わえそうである。料理もまぁまぁ美味しく頂いた。なんとか雨も降らずにご飯が食べれてラッキーといった感じである。

5月28日 夕方のロス便に乗るため、SAN JOSEに向かう。道中何があるかわからないので、早めに出発。帰りは全行程charlieの運転だ。ほとんどの道は穴さえ避ければ問題なしであった。

パンアメリカンハイウェイにて

ただ、首都に近づくにつれ混雑がひどくなり時間がかかる。ちょっと気をつけるべきところである。この二日間でせっかく乾かしたボードケースも、最後に雨に降られて台無しとなった。

帰りはsport item一個で登録し$25ですんだ。ロスまでのフライトは疲れもありぐっすり眠ってあっという間であった。ロスでは、Hilton Hotelにチェックインし十分なお湯でシャワーを浴び、久々にすっきりして爆睡出来た。あまりの疲れと紫外線暴露で体は悲鳴をあげるので、トリップには十分な対策が常に必要ですね。薬とか・・・。

5月29日 数日前に帰ったS氏が美味しいドーナツを携えて訪ねてくれた。仕事のためにロスに残るM氏とS氏に見送られ、ロスをあとにした一行は長い昼を越えデイトラインを越え、無事に成田に到着することが出来た。ヘビースモーカーのみの旅だったため行く先々で灰皿がすぐ溜まるのに驚かれたが、長いフライトもかなりの苦痛のようで帰るなりチェーンスモーク状態であった。成田で解散しそれぞれの帰路へ着いた。

charlieとJINJINは、bobbyとりこまる夫妻に迎撃され、夜中の新橋でスケボー乗り回してしめくくった。

コスタリカを攻めるには最低でも2ヶ月。「誰がそんなに休めるかぁ」と怒られそうなので、攻めて1ヶ月と言いたいところだ。波乗りだけしたいなら、他の国に行った方がマシだな。トータルで楽しめる人にはオススメである。

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